ヒーリング・タオが目指すもの
タオという言葉は「道」を意味しています。それは自然界の道であり、宇宙の道であり、そして自然のリアリティへと通ずる道です。タオはまた、心を開き、世界についてもっと学んでいくための道であり、私たちの霊性へと至る道であり、そして私たちそのものなのです。実用的なシステムタオとは、からだと、心と、霊性を培うことであり、単なる心の哲学ではありません。タオというもの、真の知識と知恵というものが何であるかということが本当にわかったら、私たちは、人生の正しい指針を得ることができます。
タオには、私たちの失われた若さやエネルギーを回復させ、さらに私たちの中の最も深いところに潜在している霊性を目覚めさせて、徳というものを取り戻していく数多くの実用的な訓練法があります。タオイスト(*1)はこうした訓練を、一種のテクノロジーであると見なしています。このテクノロジーを学ぶことによって、私たちは心を開きさえすれば、すぐさま宇宙の真実を知ることができるのです。
最後の運命古代のマスターたちは、私たちの持っている潜在能力には、死んだ後の状態でも、意識的な自由というものを獲得する力がある、ということを知っていました。特殊な訓練によって、死ぬ前に肉体を超えるような意識の拡大を行うことで、人は死の苦しみを味わう必要はなくなります。このことによって、今生を去る前に、人は将来の自分がどう生きていくかを自分で決定することができるのです。
(*1)タオイス卜:狭義には、道教を信奉し修行する道土を指すが、ここでは、タオの考え方や修行法を実践している人たちをいう。
宇宙的な霊的自立
すべての霊的なる道は、究極的には真理へと到達します。タオは、宇宙と自然と人間の真理を探しだすための、哲学とテクノロジーの双方を備えています。タオは、ただ一つだけの道や、一方だけの観点を踏み越えたものです。タオは、イニシエーションや儀式・儀礼を必要とする宗教ではありませんO ドグマから離れた、真実に基づくすべての宗教が目指している結果そのものこそがタオなのです。タオは、すべての宗教が持っている宗教観念というものを、ちょうど季節外れの洋服のように脱ぎ捨てます。またタオは、科学が最終的に目指しているものと同じものでもありますが、しかし、すべての科学的理論は完全な真理というものを部分的かつ一時的に描写したものに過ぎない、と見なしています。タオの思想は、宗教や科学の分野をすべて網羅していますが、その広大さは、信仰や知性というものをはるかに超えているのです。
マスター・キー
タオの教えとは、閉ざされたすべての扉を開くマスター・キーのようなものです。それは、あらゆる宗教が教えるところと同じく、人生がうまくいく手助けをしてくれます。しかしながら、このタオの教えは、こうした宗教の持つ霊的な本質を保ちつつも、宗教を超えています。タオは、宇宙の真理について教えてくれるばかりか、なおかっその真理を、感情や、思考、観念のレベルで示すのではなく、直接この現実世界の場にあらわしていきます。そのおかげで、タオを学ぶ人たちが、懐疑主義に走ったり、真理を求めて永遠に探しつづける愚に陥ったりすることはめったにありません。
究極の真理哲学でも、科学でも、宗教でも、それらはすべて、タオを映し出している真理のある側面をあらわしています。そしてこのタオの教え自体も、究極的な真理の中心(私たち自身の、あるいは全宇宙の)を映しているのです。タオの教えは、私たちが自力で真理の中心に到達することができるように手助けをしてくれます。タオを学ぶときに、私たちはどんな宗教を信じていてもかまわないし、いかなる霊的な道を歩んでいても問題はありません。こうした教えに従っていてもタオの教えの恩恵を得ることができるのです。
なぜならタオは、ただ私たちが宇宙的な視座に立って霊的に自立することを促しているだけだからです。タオでは、究極的なグル(導師)やマスターというものは存在しません。なぜなら、私たちこそ、自分自身のマスターだからです。私たちは自分で自分の人生をコントロールする能力を備え、人間性の中にもあるタオに潜んでいる驚くべき力を探究することを通じて、自分とは本当は誰なのか、ということを悟ることができるからです。すべての偉大な神々や仙人たち、賢者や聖人などの聖なる男女たちは、こうした道を歩む私たちの先生であり、アドパイザーになってくれる存在です。
からだ、心、霊性を養う
からだと心と霊性を養い育てていくためには、それぞれにとって栄養となる食物を摂っていく必要があります。どのようにして自分の内面の渇きを満たしたらよいかがわからないとき、宗教は、霊的な食物を与えて、私たちを満たしてくれようとします。タオでは、私たちが自分の栄養となるものを手にする方法さえわかれば、森羅万象のあらゆるものから、身・心・霊の各要素への栄養を引き出すことができると教えています。タオの訓練によって、私たちの目指すゴールを見極め、自然なやり方で、肉体的、精神的、あるいは霊的な食物を摂り入れることができるようになります。タオではまた、私たちがいかにして「無極(神なるもの)」と言われる本源へと帰るか、そして、自然界や宇宙と調和した生活を送りながら、いかにして霊的な自立を達成するか、についても教えています。
タオの訓練には、以下の三つの主要な目的があります。
・慈悲深い心と自己の全体性を培うことによって、自分自身を癒し、愛し、自らを思いやることを学ぶ。
・自然界や天地の力から受け取った豊かな癒しと愛のエネルギーで、他の人たちを助け、癒し、愛することを学ぶ。
・私たちの本源について学び、それがからだの中でうまく働くようにする。
三つのからだ
古代の道士たちは、私たちの存在が三つのレベルで働いているということと、そしてそのことを認識することがいかに重要であるかを知っていました。その三つとは、肉体と、エネルギ一体と、霊(スピリット)のレベルのことです。これら三つはすべて、意識の「階梯」を形成するうえで重要な要素です。この階梯とは、私たちが意識を持ったままスピリチュアルな世界に昇っていくときに使い、また、そうした世界から再び物質界に戻って降りてきて、この現実世界の中で創造的かっ活動的に生きていくために使うハシゴなのです。このハシゴを使って、道士たちは内なる世界の存在を学び、現実界に戻ってくるときにそこで得た知識とより増幅したエネルギーとを持ち帰ることができたのです。内丹術(内なる錬金術)の訓練によって「不死のからだ」を持つと、人は生きている状態のまま、死後の状態(あるいは生まれる前の状態)との聞を常に行き来することができるようになります。
古代のタオの賢者たちは、人はもともと死なないように生まれついている、と信じていました。自分の気を浪費してしまうがために、人は死にゆく者となってしまったのだと考えていたのです。気の浪費とはすなわち、過剰な性行為や、否定的な感情への浸りすぎ、そして、生命力を養うために物質的で粗雑な栄養ばかりを摂り続けていること、などがあげられます。タオのマスターたちは、内丹術によって、いくつかの違った段階の不死を達成することができるということを知っていました。そしてこの目的のために、数多くの方法を案出してきたのです。肉体を不死身の「神のからだに変容することにより、死すらも超越することが、タオの目指す最も究極の目的なのです。このレベルは、肉体的な不老不死として知られていますが、これを達成するにはかなりの長期間を要します。
引用文献:「タオ人間医学」マンタク・チア 著
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